★野球小僧だった小学時代
東京都中野区で生まれ、中野区で育つ。野球小僧でいつも野球ばかりしていた。プロ野球がまだ全盛で、東京出身なのになぜか関西の近鉄バッファローズのファン。在京の球場に応援にいくとスタンドはいつもガラガラだった(笑)。「江夏の21球」や「10.19」のときはTVにかじりついて観ていたが、近鉄球団の身売りが決まったとき、人知れず涙する。
★スポ根だった中学・高校時代
日本大学第二中学校・第二高等学校で過ごす。2ヶ月間の受験勉強で中学受験をからくもクリアしたが、基礎力がないため、周りとの学力差に唖然とする。それでも中学時代は野球部、高校時代はアイスホッケー部に属し部活動に熱中する。高校時代のアイスホッケー部 では猛練習の末、インターハイ出場を決める。現在も中学・高校の同期とともに接する機会も多く、たくさんの大きな出会いに恵まれる。
★税理士を目指し始めた大学時代
大学時代は日本大学商学部経営学科に学び、高校時代からのアイスホッケーとスキーに熱中する。母親が自営(広告業)をやっており、時折、顧問税理士の話を聞かされていた。母親1人でやっている零細企業だったが、何か決断するときは税理士に相談し、それは税務に限らず多岐に渡っていた。「税理士の先生に相談してみる」という言葉を何度も聞き、人から頼りにされ、会社の力になる「税理士」という職業に興味を持つ。
大学2年から税務会計のゼミに入る。税法の考え方を根本から叩き込まれる。昼間は図書館で論文の文献を集めゼミ仲間と論議し、夜は居酒屋に繰り出す生活だった。
そういう環境の中、会計・税務の道に進むことを決意。
★人生の肥やしになった税理士受験時代及び勤務時代
税理士受験は順風満帆ではなく、相撲でいう「初日が出る(初勝利)」まで挫折の連続。税理士試験は受験科目を選べるが、不合格が続いても勉強量の少ない科目でなく、実務でも重要で難関な国税三法(法人税法・所得税法・相続税法)にこだわり合格。「絶対にあきらめない」事の大切さを実感する。
会計事務所勤務時代は、地主の方が設立する不動産管理会社、年商10億円~30億円規模の製造業をはじめ、多業種の会社・個人事業のお客様を担当し、税務申告件数は200件超の経験を有している。
担当していた会社の経営者の方から、「無事決算が終わったよ、ありがとう」と感謝されたり、提案を喜んで貰えたりすることで「人の役に立つ」ことに喜びを感じることができた。
車両のフィルターを製造する会社にも数年間在籍し、総務と営業を経験する。税理士は会計事務所で勤務経験を積む方がほとんどであり、いつも帳簿の上でしか見ない一般会社の中に入り中小企業の実情を体験する。また、今現在も親交がある当時の得意先や取引先の経営者の方々との付き合いから、経営者としての視点や人生の先輩としての考えを学ぶ機会を得る。
★波間税理士事務所開業
勤務している中で、「税理士が売りたいサービスを高い顧問料で売る」のではなく、「お客様のニーズにあった質の高いサービス」を届けたいと考えるようになり、独立開業。
独立開業後は、節税・税務申告を中心にした税務サービスに加え、会社の財務・税務の問題点を洗い出し対策を提案していく付加価値サービスも行っている。
さらに新設法人説明会の講師や青色申告の相談員をつとめながら、起業支援や個人事業者の記帳指導も行い、社会保険労務士、司法書士等の他士業とタイアップしたセミナー講師の活動も行っている。